9世紀にはフランコ族がこの街を支配

イタリア北部のロンバルディア州の州都。国際企業や銀行が集まるイタリアの経済・商業の中心地で、フィエラと呼ばれる見本市には世界中のビジネスマンが訪れる。

街の規模は口-マに次いでイタリア第2位。1980年代からはファッションの街としても注目を集めている。近代的な街というイメージが強いミラノだが。その歴史は紀元前5世紀にさかのぼる。当時はエトルリア人の街だったが、紀元前4世紀にガリア大に侵略され、紀元前222年にはローマに征服された。

ミラノは、このローマ帝国支配下、街の規模を拡大する。4世紀には多くの教会も建てられた。現在、観光スポットになっているサンタンブロージョ教会やサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会の基礎は、この時代に築かれたものだ。その後はふたたび異民族の侵略にさらされる。

5世紀にはコート族が、6世紀にはロンバルド族が、9世紀にはフランコ族がこの街を支配した。ミラノを中心とする地方をロンバルディア地方と呼ぶのは、この口ンバルド族に由来している。11~13世紀には自治都市の時代を迎える。11世紀にはミラノ大司教の政策のもと市民が力を持つようになり自治が確立した。

このあと街は急速に発展し、神聖ローマ帝国の脅威となる。1162年にはフリードリッヒ1世の皇帝軍がミラノに攻め込んだ。戦いは近郊の諸都市も巻き込み、1176年ついにミラノ軍が勝利。以後自治都市として降盛を迎え、毛織物や絹織物などの産業が発展した。

これらは現在のミラノの主要産業のひとつでもあり、イタリアン・モードの原動力だ。ドゥオモの建造が始まった領主の専制時代13世紀後半から16世紀は、領主による専制の時代となる。ヴィスコンティ家、次いでスフォルツァ家がミラノを治め、その豊かな経済力を背景にルネッサンス文化が花開いた。

いま見られる名建築物の多くは、この時代のものだ。ミラノのシンボルであるドゥオモの建築はヴィスコンティ家の隆盛時代に始まり、スフォルツァ家の時代にはスフォルツェスコ城が建浩された。

建築家ブラマンテやレオナルド・ダ・ヴィンチが招かれ、ブラマンテは都市計画を指揮し、レオナルドは修道院に生涯唯一の壁画といわれる「最後の晩餐」を描いた。
さて、忘れてはいけないのがやはりスリです。

ミラノでも過去に被害に遭った日本人観光客は多く、その一例です。「ミラノの地下鉄車内で、ドアの近くに立っていたら、3人の男に周りを囲まれた。

ひとりが大声で話しているのに気をとられている間にバッグを開けられ、財布を抜かれた。」地下鉄やバスなどの乗物で、必要以上に身体を近づけてくる大がいたらスリの可能哇が高い。場所を移動するか、バッグを手で押さえて防衛の姿勢を見せるなどの対策を取りましょう。

美しい観光地や美術に触れて、見とれたり心奪われることがあるのがイタリア。財布や健康は奪われないように、ミラノ観光を楽しんでほしい。