現在様々な難題を抱えている

現在のイタリアは、実は中世から19世紀までは小国に分裂していました。統一の事を理解するには、それに至るまでの歴史知る必要がある。実はイタリアの歴史は侵略と権力闘争の繰り返しで血に染まった時代も多々あった。

その歴史上の始まりといえるのは、やはりローマ帝国であろう。ローマ帝国は紀元前27世紀に初代皇帝アウグストゥスから始まり、その後約200年の安定した帝国支配の世が続く。

117年にローマ帝国が繁栄を極め、最も大きくなりり、ヨーロッパの大半と北アフリカ、小アジアの一部が領土となった。だが巨大ゆえに帝国の寿命は縮まり、各地の総督や司令官がはなれていったことなど引き金となり、ついに395年にローマ帝国は東西隔てることとなる。

467年には西ローマ帝国はゲルマン民族大移動に巻き込まれる形で消滅した。この西ローマ帝国の滅亡以来、イタリアは東ローマ帝国、ゲルマン人、イスラム勢力などの外国からの侵入を許し、分割され、統治されてきた。

ようやくイタリア統の動きが起きるのは、ナポレオンの支配が終わったとき、民族主義の炎が燃え上がり始めた。そして、イタリアの統一運動は、オーストリア帝国のハプスブルク家に対抗する行動であった。

オーストリアの強力な軍隊がイタリアの北東部に駐留していたからである。 イタリアのいくつかの州でイタリア統一のための準備を開始し、人々の間では統一への動きが加速し1815年にウィーン会議による国家の返還が決定された。

波乱の統一から現代ヘイタリア統一運動(リソルジメント)の中心的存在となったのサルデーニャ王国のカミロ・カヴール首相だった。カヴールはナポレオン3世の後ろ楯を得てオーストリア軍を撃破、ロンバルディアの併合を果たした。

一方、南イタリアではガリバルディ率いる赤シャツ隊が両シチリア王国を奪還。これらの土地もサルデーニャ王国に吸収され、1861年にイタリア王国が建国された。第一次世界大戦ではかろうじて戦勝国となったが、イタリア国内に不満が噴出し、ムッソリーニによるファシスト党の台頭を招いてしまう。

ムッソリーニはドイツの総統ヒットラーと同盟を結び、第二次世界大戦に参戦し大敗を喫した。結果、ムッソリーニは処刑され、1946年の国民投票でイタリアは共和国となった。

現代のイタリアは、政治汚職やテロ問題などさまざまな難題を抱えているが、ファッションやサッカー、フェラーリに代表される夢多き国でもある。